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大阪地方裁判所 昭和57年(わ)3443号 判決

主文

被告人を懲役三年六月に処する。

未決勾留日数中五〇日を右刑に算入する。

訴訟費用は被告人の負担とする。

理由

(罪となるべき事実)

被告人は、昭和五七年七月六日午後一〇時ころ、知人から借りた普通乗用自動車(トヨタチェイサー五五年式。大阪五八り九九―七〇号)に友人迫田真一郎を同乗させてこれを運転し、大阪府八尾市西久宝寺二七八番地先府道大阪中央環状線西久宝寺交差点に、青信号に従つて、時速約一一〇キロメートルで南から北に向けて進入しようとした際、大井英樹(当時二〇歳)が運転し、李寛成(当時三三歳)が助手席に同乗する普通乗用自動車(ホンダシビック四九年式。和五六そ五五―二〇号)が赤信号を無視して同交差点東側から自車の走行車線内に進出してきたのを認め、同車との接触を避けようとして急制動及び左転把の措置をとつたところ、自車が回転しながら滑走して付近歩道上に乗り上げ、衝撃を受けたため、右シビックの運転者をつかまえて謝罪させ、もし自車に損害があればその弁償もさせてやろうと考え、直ちに同車を追跡し、右交差点から右六〇〇メートル北方の東大阪市金岡四丁目一二番地先藤美交差点手前で信号待ちをしている同車に追いつき、自車から降りて右シビックの運転席そばに駆け寄り、前記大井に対し窓ガラスを手でたたくなどして降車するよう怒鳴りつけたところ、同人はこれに応じないで赤信号を無視して同車を急発進させて逃走した。これに立腹した被告人は直ちに自車でこれを追跡し、右藤美交差点から約一五〇〇メートル離れた同市衣摺三丁目七番一号先衣摺交差点手前で、赤信号及び先行車停止などのため停止した右シビックに追いつき、右迫田とともに下車し、被告人が右シビックの右前部付近に立ち、右迫田が同車運転席のドアを開け、こもごも右大井に対し降車するよう怒鳴りつけていたところ、同人は前同様これに応じないで、青信号に変わるなり右ドアを閉めて同車を発進させたため、更に自車でこれを追跡したが、右発進の際、これを止めようとして被告人が右手を上げ身を乗り出したため、右シビックのフロントガラス角付近を右手と胸部に当てられたうえ、右迫田からも、その際右ドアで指をはさまれたことを聞知して激昂し、このうえは何としてでも同車を止めて右大井を引きずり出し、同人を痛めつけてやろうと考え、同車が右衣摺交差点から約一八〇〇メートル進行した同市寺前一丁目四番五号先路上で交通渋滞のため停止しているところへ追いつくや、自車内にあつた模造けん銃を持ち出し、同けん銃で右シビックのフロントガラスをたたき割ろうと数回殴打したが割ることができず、次いでその車体を蹴りつけながら右大井に対し降車するよう怒鳴りつけているうち、同車にまたも逃げられてしまつた。そこで一層激昂した被告人は、直ちにこれを追跡し、同日午後一〇時一九分ころ、同市三ノ瀬二丁目三一番地先路上において、時速約七〇キロメートル近くで南から北に向け直進逃走していた右シビックに追いつき、同車の右側面と五〇センチメートル足らずの間隔を置いてその右側を時速約七〇キロメートルで並進するに至つた際、右シビックの進路前方に自車を進出させて右シビックを停止させようと考えたが、右のような両車両の進行状態のまま、いきなりハンドルを左に切つて自車を左斜め前方に向けて走行させれば、右シビックに自車を衝突させる高度の危険性があることを認識しながら、その危険を意に介することなく、あえてハンドルを左に切つて、左斜め前方に自車を進出させたため、右シビックの右前部角付近に自車左前フェンダー付近を衝突させ、その衝撃により右大井の正常なハンドル操作を著しく困難ならしめるとともに、一瞬、自らの適確なハンドルさばきをも困難ならしめた結果、自車左前部と右シビックの車体右側とを、数回にわたり接触擦過を繰り返しながら並行させた末、同車を右前方に横すべりするに至らしめて、同所二二番地先の東側歩道上のコンクリート製電柱(柳通一六)に激突させ、よつて同車助手席に同乗していた李をそのころ、同所において、頭蓋骨骨折、脳挫傷により死亡させるとともに、右大井に対し加療約八か月を要する頭部外傷Ⅱ型、右膝部内側副靱帯損傷等の傷害を負わせたものである。

(証拠の標目)〈省略〉

(法令の適用)〈省略〉

(弁護人の主張について)

弁護人は、被告人には傷害の故意がないから、本件は傷害致死罪、傷害罪としては無罪であり、業務上過失致死罪、同傷害罪を構成するに過ぎない旨主張するほか、本件結果の発生については、被害者大井のハンドル操作の誤りが介在しているので、因果関係の存在についても疑問がある旨主張する。そこで、以下これらの点について検討する。

一傷害の故意について

被告人は、当公判廷においては、要するに、自車(チェイサー)を被害車両(シビック)にわざと衝突させようとしたものではなく、被害車両を止めるため追跡してこれに追いつき、その右側に出てこれと並進状態になつた際、更にその前に出ようとしてハンドルを左に切つたところ、車両が衝突したもので、右衝突は予想外の出来事である旨弁護人の主張にそう供述をしているところ、被告人の捜査段階における供述をみてみると、被告人が警察に出頭した当日作成された二通の調書を除き、いずれも犯意の点を含め公訴事実を全面的に認める供述をしているのである。

しかしながら、当裁判所は、前掲各証拠を総合検討した結果、被告人の捜査段階における供述中確定的故意を認める部分については、全面的にこれに信を措くにはやや疑問の余地があると考えるのであり、一方、被告人の当公判廷における供述中被害車両との衝突は予想外の出来事で、単なる過失に基づく衝突事故であるかの如く供述する部分もとうてい信用するに値しないものと認め、結局、判示のとおりいわゆる未必的な犯意を認定したので、以下その理由を述べる。

1  前掲各証拠によると、本件衝突現場付近道路は、北行、南行各一車線の、歩車道の区別のある平垣なアスファルト舗装の直線道路(車道部分の幅員約一〇メートル。なお、道路標示により、追越のための右側はみ出し禁止規制がなされ、中央に幅1.2メートルの通行禁止帯が設けられている)であるが、被告人はチェイサー(車長4.67メートル、車幅1.67メートル、車両重量一一六〇キログラム)を運転して、判示認定のとおり経緯でシビック(車長3.54メートル、車幅1.5メートル、車両重量六六〇キログラム)を追跡北進中右道路に差しかかり、三ノ瀬二丁目交差点(判示柳通一六の電柱の南方約七〇メートル)を通過した付近から右道路中央線をまたいだ状態で時速を約七〇キロメートルに加速してシビックを追いあげ、その右側に約五〇センチメートル足らずの間隔を置いてこれと並進するに至つたが、そのころ時速を約六〇キロメートルから約七〇キロメートル近くまで加速して直進逃走中の、シビックにチェイサーの左前部が衝突し、シビックは右電柱の南方約三五メートル(これは、電柱から南方に直線で計測した距離)付近からまず左後輪タイヤを滑らせ始め、当初わずかに車体が左に寄つたものの、約一八メートルはほぼ直進しその後右に曲りながら道路を横断して右電柱に車体左側を激突させて、停止したことが認められる。

2  ところで、チェイサーとシビックとの衝突状況に関する被告人の供述、特に捜査段階における供述、証人迫田真一郎の当公判廷における供述及び同人の検察官に対する供述調書の抄本、証人柴田想一の当公判廷における供述及び同人作成の鑑定書等を総合すると、チェイサーの左前部が最初に衝突したシビックの車体の部位は、右前部である疑いが濃厚であり、かつ被告人につきこれに乗車していた大井、李らに対する傷害の確定的故意を一応認めざるをえないかのようである。

しかしながら、被告人の捜査段階における供述をみると、後に説示するように、証拠上認められる客観的事実に照らして不合理と思われる部分が存するほか、被告人に傷害の確定的故意があつたことをことさら強調するために、調書上相当誇張した表現がなされ、また、被告人がそのような表現をしていないのに、当時の被告人の感情を推測して必要以上に刺激的な用語を用いている(例えば、被害者らを「敵」と呼ばせているなど)節も窺われるのである。一方、「シビックを止めるために、チェイサーがシビックよりもややその前部を前に出した状態でその前に出ようとしてハンドルを左に切つたところ、チェイサーの左前部がシビックの右前部角に当たり、ハンドルを右に戻した瞬間二台がくつつくようになり、反動で二、三回当たつて、その後離れた」旨の被告人の当公判廷における供述は、両車両の衝突状況に関する客観的状況としては、後に説示するように、大井英樹及び中村司(二通)の検察官に対する各供述調書の内容にも符合するのみならず、むしろ被告人の捜査段階における供述よりも理に合うものと考えられるのであり、柴田想一の、シビックには、少くとも四回以上の不連続の衝突ないし接触痕があるなどの鑑定結果にも必ずしも矛盾するものではないと考えられる。

すなわち、被告人の捜査段階における供述をみると、「相手の車の右後ろから大きくハンドルを左に切つて相手の右側ボデーにぶつつけてやつた。」(七月一二日付警察官調書)、「加速してどうにか相手と並び、この野郎と思い左にハンドルを大きく切つた瞬間、『ガシャーン』という音がし、私の車の左前と相手の車の右側前の方が完全に当たつた。最初にぶつつけ、相手の車と離れた直後、相手の車が私の方に寄つてきた。そこで、この野郎俺に挑戦する気か、くそつたれと思い、続いてハンドルをおもいきり切つて相手の右ボデーにぶつつけた。」(同月一九日付警察官調書)、「七月二〇日付実況見分調書添付の見取図③のあたりでチェイサーがのシビックに並びかけ、チェイサーが④に進んだ時、のシビックにぶつけ、そのまま少し並んで走つた後、チェイサーが⑤に来た時、更にのシビックにぶつけた。すると、シビックは横すべりして道路を横ぎり、の電柱にぶつかつて止つた。加速して並びかけていつたので、七〇キロメートル位は出ていたと思う。はつきり自分でハンドルを切つてぶつけたと覚えているのは二回です。ハンドルを左に切つて相手の車にぶつけるなり、またハンドルを戻すというやり方です。」(同月二六日付検察官調書)などと供述しているのである。しかし、本件衝突時の状況について、シビックの運転者大井英樹は、「私の記憶は、相手の車が運転席側から並びかけてき、相手の車の方が私の車より少し先に出て、かぶせるように私の車の方に寄つてきたということを最後に途切れてしまつております。」と供述している(同人の検察官に対する供述調書)ほか、当時、両車両に後続して自動車を運転中その衝突状況を目撃した中村司は、「チェイサーが追い越し禁止の黄色のセンターラインをまたいだままスピードを上げてシビックに並びかけていき、両車両が五〇センチメートル位の間隔を置いて平行して走つていたが、チェイサーの方がシビックより少し前に出て、シビックの行く手をさえぎるように斜めに車を寄せていき、チェイサーの左前輪の上あたりがシビックの車体の右先端に当たつていた。ぶつかつた後、二台は一〇メートル位ほとんどくつついたまま押し合うように走つていたが、シビックが方向性を失い、蛇行して道路を横切り、反対側車線の電柱にぶつかつていつた。」旨供述するとともに、七月一二日実施の実況見分にも立会し、その状況を指示説明している(同人の検察官に対する供述調書二通及び前掲七月一二日付実況見分調書)ところ、右中村は、被告人及び被害者両名とは何ら利害関係のない者であるのみならず、警音器を鳴らし続けながら同人の車を追い越して行つた右両車両に関心を持ち、その動向に注視していたことが認められるのであるから、その供述及び同人の指示説明に基づいて作成された右実況見分調書の証拠価値は特に高いものといえる。そして、右各証拠に前掲七月七日付実況見分調書添付の現場見取図によつて明らかなシビックの滑走によつて生じたと認められるそのタイヤ痕の印象を合わせ考えると、チェイサーがシビックに衝突した地点は、前記三ノ瀬二丁目交差点北出入口付近から北方約三四メートルの付近であり(これは、被告人が前記七月二六日付検察官調書で、二回目にシビックにぶつけたと供述している同月二〇日付実況見分調書添付の現場見取図の点にもほぼ合致する)、かつ、ほぼ同地点付近からシビックは左後輪のタイヤを滑走し始め、約三七メートル余滑走した後に前記電柱に激突して停止したことが認められ、その間の滑走状況は先に認定したとおりである。右中村の供述によれば、右衝突後両車両は一〇メートル位ほとんどくつついたまま押し合うように走つていたというのであり、右距離は、もちろん同人の感覚的なもので、正確なものではないが、右中村のいう両車両の走行状態があつたのは、前記約一八メートルのほぼ直進状態でシビックが滑走した間の状況をいつているものと認められる。また、前掲各証拠によれば、両車両が押し合うように走つた後、被告人がチェイサーのアクセルを離し、減速してシビックの後方に離脱した際にも、チェイサーの左バンパーガードの角部分がシビックの右後下部に接触したものと認められるが、最初の衝突から押し合うように両車が走つて、チェイサーが右のように離脱するまでの間に、前記鑑定結果にみられるような少くとも四回以上の不連続の衝突または接触痕がシビックに生ずることは、右のような両車両の衝突及び進行状況からみて必ずしも不可能なことではないと考えられる。そして、被告人が右最初の衝突場所以降更にハンドルを大きく左に切つてシビックにぶつかつていつた事実は、少くとも右中村の供述からはとうてい認め難いのみならず、時速約七〇キロメートルで走行する車両の秒速が約19.4メートルであることに照らしても、これを認めることは困難である。この点、被告人が前記七月二六日付検察官調書において、「チェイサーが④に進んだ時、のシビックにぶつけ、そのまま少し並んで走つた後、チェイサーが⑤に来た時、更にのシビックにぶつけた」と供述しているのは、右④〜⑤間の距離が7.3メートルに過ぎない(前記七月二〇日付実況見分調書の現場見取図)ことに照らすと、全く不合理といわざるをえない。

以上の次第で、確定的故意を認める被告人の捜査段階における供述部分はそのままには措信し難い。なお、前掲各証拠によれば、被告人は、シビックが電柱に衝突した直後に「ざまあみろ」と言つたことが認められるのであるが、これは、被告人が当公判廷において供述するようにシビックが電柱に衝突したのを見て、止まれと言つても止まらず、そのあげく、自分と同様に車体を二、三回転させたと思つたため、自分も同じ目に合つているので、ざまあ見ろという気持からなされたものと考えられないことはないので、右のような発言があつたからといつて、そのことから傷害の確定的故意を推認することはできず、他にこれを認めるに足りる証拠はない。

3  しかしながら、被告人は判示認定のとおり、本件衝突直前、シビックと約五〇センチメートル足らずの間隔を置いたまま時速約七〇キロメートルの高速でこれと並進し、これに近い速度で走行していたシビックの前方に進出しようとして、ハンドルを左に切つたもので、その瞬間シビックと衝突することは自明のことであり、被告人は、当時判示のとおり憤激状態にあつたとはいえ、少くとも両車両の右のような進行状況を十分認識しながら、衝突の危険を回避するような措置は何らとることなくあえて左に転把したものであるから、シビックとの衝突を認容していたものと認定せざるをえない。

被告人は、当公判廷(第五回)において「左へ入る角度はせいぜい一〇度までで、自分の方がシビックより何キロか余計にスピードを出していたから当らないと思つた」旨供述しているのであるが、同時に「日頃先行車を追い越す場合は、先行車より一五ないし二〇キロメートル余計に加速して、二〇メートル位は追い抜いて、車線変更の信号を出したうえで追い越すようにしている」とも供述しているのみならず、一般に、時速約七〇キロメートル(秒速約19.4メートル)で進行する車両が、かりに五度の角度で左斜めにこれを走行させたとした場合、別紙計算書のとおり、一秒後には、車体左前部がそのまま直進した場合よりも約1.7メートル左に寄つている(五〇センチメートル左に寄るには、約5.7メートルの左斜め進行で足りる)ことが明らかであることなどに照らして右被告人の当公判廷における弁解はとうていそのままには措信し難い。

そして、右のような高速で走行する自動車同士が衝突すれば、これに乗車している者の身体に何らかの傷害を負わせることになることは経験則上明らかなことで、被告人が前認定のとおり両車両の衝突を未必的に認容していた以上、本件被害者両名に対する傷害の未必的な故意があつたものといわざるをえない。

よつて、被告人が傷害の故意を有していなかつた旨の弁護人の主張は肯認できない。

二因果関係について〈省略〉

(量刑の理由)

本件犯行は、前記大井が信号を無視して交差点に進入し、被告人運転のチェイサーに衝突の危険を与えながら、そのまま逃走したことに端を発しているとはいえ、被告人自らも信号無視、速度違反、対向車線への進入、追越禁止区域での追越など交通法規を全く無視した無謀な運転方法で執拗に右大井運転のシビックを追跡したあげく、判示のとおり同車に自車を衝突させ、その結果前記李を死亡させ、右大井に対しては長期加療の末、二〇歳の若さで、結局は身体障害者の認定を受けざるをえない見込みの重傷を与えたというもので、その態様は極めて危険かつ悪質であり、結果もまことに重大であること、ことに、右李はたまたま右シビックに同乗していたために本件犯行の巻添えにあい、三三歳の前途ある身で非業の最期を遂げざるをえなかつたものであり、一家の支柱を失つたその妻子(六歳と三歳)の悲しみは察するに余りあること、しかも右李の遺族や大井に対しては何らの慰藉の措置も講じられておらず、同人らが被告人に対する厳重な処罰を望んでいること、その他被告人の前科、前歴などをも併せ考えると、被告人の刑事責任は非常に重いというべきであるが、他方、被告人は本件犯行の翌日には、自己運転のチェイサーが右シビックに接触して本件結果が発生した旨警察に届け出て、反省を示していること、水道工事業を営む父親の片腕として、真面目に家業に精励していること、その他家庭状況、被告人の年令など有利と認められる事情も存するので、以上の事情を総合考慮して主文のとおり量刑した。

よつて、主文のとおり判決する。

(大野孝英 楢崎康英 沼田寛)

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